久々に気分の落ち込みが襲ってきた。

今日は朝から心に大寒波が襲ってきたかの如く気分が塞ぎ込んでいた。

 過去に出会ってきたトラウマや、自分を傷つけてきた人間もどきに対しての口撃的妄想が止まらず、常に脳内にアラート音が鳴り止まなくて気が狂いそうになった。

 

 こんな気分になるのはしょっちゅうある。抑えられるときは、「こいつらの事に考えを馳せていても時間の無駄」と直ぐに一蹴できていたけど今回はそうではなかった。いつも受け流している言葉を気分のエリアにアクセス出来なくて、思うがままに嬲られていた。

 これだけ書いてると今日は”人類史上最大最悪の絶望的事件”並の悲惨さだったけど、気づいた事が一つあってその気づきを大事にしたいと思って書いて見ようと思う。

 

 

 自分が何故気分の波に翻弄されるかと考えてみて、結論から言えば心が抱えてたり叫んでいる辛さを否定しまくった結果、整えたと思っていた気分に残ったバグ?が暴走して今日の様な気分の低下に繋がったと思う。単純に心の声を否定して整えようとした結果、不平不満だった気分が一揆を起こしてしまったのかなと。

 

 これに気づいて自分と向き合うべく、ソルティライチを手にとって静かな公園に向かった。歩いている途中に湧き出る口撃的な衝動は否定もせず放置した。脳内では気分が悪くなるラジオが常に垂れ流されてる気分だったけど、心の叫びと向き合うと決意したから否定するのは帰って毒だと思った。

 

 公園に到着して近くのベンチに座り早速自分の声を聞こうとした。と言うものの自分を客観視する能力など持ち合わせていないから、だからスマホアプリのEvernoteに脳内に浮かび上がった気持ちをメモする事にした。

 形容しがたい言葉や恨み節な言葉が次々と浮かんできてパニックになりそうだったけど、自分の心はこの気持ちを毎日抱えてきたんだと思うと、少しづつ共感と負担をかけてきた申し訳ない気持ちが芽生え始めていき、段々と身体の力みが抜けるような感覚で受け入れられるように順応してきた。

 

 限界まで気持ちを吐き出した後、心に「じゃあ貴方が望んでいることは何?」と問いかけて、音速の速さでレスが返ってきた。「自分を肯定してほしい」と。

 とは言っても自分を肯定するってどうするんだろうって思って、過去の自分を振り返ってみたら、小学生時代から常に自己否定ばかりで自己肯定とは対極の思考ばかりしていたんだと気づいた。

 じゃあそれを今からでも修正すればいい、とシンプルに考えたらそう結論づくけど、仮に自己肯定をしても結局意識がつかず、またいつもの自己否定に収まって変わらない自分を自責してしまう、そう思うと怖くなってきた。

 でもあくまで可能性の話で意識づけを試してみたら、案外うまくいって気分の波を制御できるかもしれない。折角ここまで心と向き合えたんだから逃げるのは勿体無いなと思って。

 自己肯定の意識づけができるかどうかの結果は一旦置いておいて、まず試して見よう。出来なかったらその理由を言語化して相談できる人からアドバイスをもらえれば良いし、意識づけに成功したら三半規管がイカれるまで心を胴上げすれば良い。

 

 ひとまず自分を飼いならす事に成功した。自己肯定したことがない自分にとってこれから取り組むことは茨の道だけど、今日の心の声を忘れずに少しづつ自己肯定を育めたら良いなと思う。